0
法華寺
神亀元年(724)行基が薬師如来を本尊として創建し、その後伝教大師最澄が寺坊を修復して、日光、月光菩薩をはじめ十二神将を祀ったと伝わります。興福寺文書によると僧坊百二字衆徒五十口とあり、当時は己高山惣山の院主を務めるなど己高山七ケ寺の最有力寺院として、浅井氏三代の帰依深く、また豊臣秀吉や徳川家の庇護を受け格式を誇っていたと伝わります。 また、法華寺跡が残る古橋は、戦国武将・石田三成の母の故郷であり、法華寺にはかつて三成の母のお墓がありました。関ヶ原合戦に敗れた後、三成は幼少の頃小姓として過ごした法華寺の住職を頼り、古橋へと逃れました。三成はこの地で捕縛されますが、寺跡の裏山には三成が匿われた大蛇の岩窟があり、古橋では三成に関する伝承が数多く残っています。秀吉との出会いのエピソードとして有名な「三献茶」は法華寺であったともいわれます。